2016年05月01日

主日礼拝メッセージ「神さまに祈り求めますか」マタイ7:7〜12

 人気の遊園地USJのなかでも人気のアトラクションは、小説「ハリー・ポッター」を題材にしたものだそうです。マジックを使って、自分の思い通りのことが実現できる、というのが人気の秘訣なのでしょうか。実際の生活では、なかなかそんなふうに「思い通りに事が運ぶ」などということはないのですが…。

T.求めなさい、そうすれば・・・
 1.この御言葉を読む時
 聖書の言葉の中でも、似たような御言葉があります。マタイ21:22「信じて祈り求めるなら、なんでも与えられます」やヨハネ15:7「あなたがたがわたしにとどまり、わたしの言葉があなたがたにとどまっているなら、何でもあなたがたの欲しいものを求めなさい」など。他にも、ヨハネ14章や15:16などにも、同じような御言葉があります。
 けれども、間違えてはいけないことは、これらの御言葉は「ハリー・ポッターのまじない』とは違うということです。そんなことは当たり前でしょ、と思うかもしれませんが、私たちは心のどこかで、あのおまじないと同じように、聖書のみ言葉を唱えるだけで「願いがかなわないかな!?』と思っているのではないか、と思います。
 実際のところ、『どうすれば、私たちが願うとおりに」求め、探し、叩く通りに、応えていただけるのでしょうか。

 2.祈りが叶えられた経験がありますか
 皆さんの中には、「祈りが答えられた」経験のある方がおられて、その時のことを話してもらうことはできるでしょう。でも、多くの人が「祈りがなかなか叶えられない。答えてもらえない」という経験をしておられることと思います。私たちには、一体何が足りないのでしょうか。どういう求め方、祈り方をすれば、叶えられるのでしょうか。
 ハリー・ポッターの小説に出てくる少年たちのように、練習が足りないからでしょうか。それとも、何か、特別な呪文のようなものがあって、それを教えてもらってないからでしょうか。それを教えてもらうためには、特別に熱心に信仰するか、一生けん命奉仕しないといけないのでしょうか。

 3.「〜し続けなさい」
 新改訳聖書のこの箇所の脚注を見ると、「〜しつづけなさい。そうすれば〜」というふうに訳すことができるのだ、と説明されています。だったら、最初から『求め続けなさい、そうすれば与えられます』と翻訳してくれれば良いと思いますが。
 そのように翻訳していないというのは、叶えられない、答えられない理由が『〜し続けていないから』だけではないという意味でしょう。もちろん、「祈り続ける、求め続ける」ことも大切なことですが・・・

 4.この御言葉を思い巡らす時
 この御言葉を思い巡らす時、大切なことを教えられます。それは、この御言葉に耳を傾け、その御言葉に向きあい、その御言葉によって心を探られる時、『神さまが何を語ろうとしておられるのか』と思い巡らすように、と導かれるのです。
 それらの思い巡らしの中から教えられることは、1)私たちは、ほんとうのところ、「どうしてほしい」と願っているのだろうか、ということ。2)神さまが必ず答えを与えてくださる、と信じて祈り、求め続けるか、ということです。

U.何を求めているのか
 1.私たちの求めている祈りの答えは
 私たちは、この御言葉に励まされて、神さまに祈り、求めます。一生けん命求めます。時には、断食して祈り求めます。御言葉のとおりに、求めます → 捜してみます → 叩いてみます。脚注にあるように祈り、求め続けます。それでも、答えられず、叶えられない時があるのです。
 それで、どうなりますか? あきらめますか?いいえ、その時こそ、神様のご機嫌を伺うばかりでなく、私たち自身の心に問う必要があるのです。「私は、一体、何を求めているのか?」と。
 例えば、あなたが就職や進学、将来の結婚のこと、そして今悩んでいる人間関係のことなどを祈っているとします。私たちは、その「祈りの答え」を一生けん命求めます。でも、ひとつ、忘れてはならない、大切なことがあります。9、10節です。天の父なる神様は、『私たちに良き物をくださる」と約束されていることです。
 では、私たちはいったい「神さまに、何を求めているのでしょうか」。

 2.どうしてほしいのか
 ヨハネ5章に登場するベテスダの池で、38年も臥せっていた人に、イエス様は聞かれた。「よくなりたいか?」と。彼は、あまりに長い間、臥せっていたので、「自分が良くなりたいかどうか」すら、わからなくなっていたのです。私たちも彼と似ていて、「どうなってほしいのか」分からない時があります。
 私たちはさまざまな祈りをします。その祈りは、『テストで良い点が取れるように』であったり、『願っている学校に、願っている会社に入れるように』であったりします。でも、それが叶えられたからといって、『どういう人生を送ることを求めている』というのでしょうか。良い出会いがあり、良い人と結婚をして、赤ちゃんが生まれて、素敵な家庭を築きたいと願います。その願いは素晴らしいが、その願いが叶うとして、どのような生涯を歩もうとしているのでしょうか。
 私たちの祈り、願い、「求め、捜し、叩く」歩みは、ここに至るのです。「あなたは何を求めているのか」「あなたはどうして欲しいのか」、と神さまが問いかけておられるのです。私たちは、神さまのこの問いかけに「答える」事が大事です。私たちが、この問いかけにまごころから答え、神さまに祈り、願う時、それこそが、本当の私たちの心からの祈りなのです。

V.私たちの信じる神様は
 1.あなたの願うとおりに、と言われる神様
 ここまで、御言葉についてお話しをしてきて、どう思われましたか?「本当にそのとおりだ」と、信じることができましたか?それとも、「いやいや、それでもまだ、本当に神さまが応えてくださるかどうか、分からない」と言われるでしょうか。聖書の中で確かに、神さまはそのように約束しておらえれるのです

 2.聖書に記されている祈りの答えを見て下さい
 アブラハムやヤコブは何を祈り求めたでしょうか?エジプトにいたイスラエルの民は、荒野を旅した民は、何を願ったでしょうか?ダビデや多くの勇士たち、神様の御言葉を語り続けた預言者や民を導いた士師たちは?イエス様の12弟子や、福音宣教に立ち上がったパウロたちは、何を求めたでしょうか。
 彼らには、それぞれの祈りがあり、願いがありました。みんな、それぞれの心からの祈りでした。たとえば、アブラハムは「子孫、子ども」を求めたでしょう。荒野の民は、「食べ物や飲み物。約束の国での平安な暮らし」でしょうか。イエス様の弟子たちは、ある者は「右大臣、左大臣」になりたかったでしょうし、パウロは「出かけていくまちまちで、ひとりでも多くの人がイエス様の救いを信じ、受け入れる」事だったでしょう。みんな、バラバラの祈りと願いです。
 でも、共通しているのは、最終的に、「彼らそれぞれにとって」、最高の答えを神さまが与えてくださった、ということ。もしかすると、彼らの「願っていたものと違う」答だったかもしれません。あるいは、願った通りの答えが与えられた人もいるでしょう。最終的な祈りの結論は、「神さまは確かに、彼らの祈りと願いを聞かれた」こと、=そして、「それぞれの人にふさわしい祈りの答えを与えられた」ということです。

 3.神様ご自身をどのような方として信じているのか
 私たちが、今日の御言葉で確認すべきことは、神さまは私たちに「最善をなして、その生涯を導いてくださる」ということです。その神さまが私たちに、日毎に目を留めていてくださり、私たちに向かって「わたしに求めてごらん」「わたしのところにきて、わたしのふところから「あなたの答えを探してごらん」、「わたしのところに来て、わたしの戸をたたき、わたしが答えるまで叩き続けてごらん」と言っておられるのです。
 御言葉は、私たちに問いかけてきます。「わたしがあなたの祈りと願いに、答えられる神だと、信じているか」と。)私たちは、この信仰がなければ、「求め続ける」ことも「捜し続ける」ことも「叩き続けることもできません。私たち自身の心の中に、神様に対する「この信仰がないなら」、神さまに与えていただきましょう。神さまの側が、私たちを愛し、私たちを見出し、私たちのためにイエス様の十字架の救いを完成させ、私たちに「最高の答えを与えようと」しておられるのです。
 「インマヌエルの神」であるということ。それは、「私たちと共におられる」ということです。それだけでなく、私たちの日々の歩み、日々の行い、日々の思いに「寄り添ってくださる」ということです。私たちが経験した悔しさも悲しみも、痛みも喜びも、全部、共にいて「見ていてくださり共に喜び、共に受け止めてくださる」神様なのです。だから、「私たちの心を知って、私たちの祈りに、願いに答えようとしてくださる」神様なのです。
 だから、「わたしのもとに重荷を下ろしなさい」と慰めてくださるのです。だから、「わたしがあなたの砦、いわお、盾であり、あなたを守る神だ」と言われるのです。その神さまが、私たちが祈り求める時、パンを与えて欲しいと願っているなら、「最高のパンを与えてくださる」のです。肉を与えて欲しいと願うなら、「最高の肉を与えてくださる」のです。そのパンや肉は、私たちの求めているものとは違うかもしれません。でも、最高に「私たちの体を強め、私たちの喉の渇きを癒やす」物を与えてくださるのです。その最高の助け、慰め、励ましが、「イエス様の十字架」であり、「私たちの心に住まわれる聖霊なる神さま』なのです。
 ここまでして、「私たちに、最高、最善の答えを与えようとしておられる」神さまを、信じて従っていきましょう。


posted by 五日市聖書教会 at 00:00| □メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。